しょんだの思考記録

逆張り思考・コミュニケーション など、俺の頭の中を晒します.

「○○大学○○学部○年の○○○○です。」っていう自己紹介が大嫌い。

「○○大学○○学部○年の○○○○です。」っていう自己紹介が大嫌い。

俺はここ数年やってない。

最初に伝えたいことは大学名なんか!?

大事な名前を文の途中で挟むの覚えづらすぎるけど!?

名前はまだかなーと思いながら聞き始めるから学部も忘れそうになるけど!?

まじでセンスないと思ってる。

 

『えっこういう自己紹介をする時って大抵大学を跨いだ交流がある時だし、大学名を最初に伝えるのは自分の所属を明確にするという意味では理に敵ってないか?(それとも所属に大した意味はないという思想?)』

というツッコミが入ったので、下記の通り説明を追加。

 

自己紹介における情報の優先度を、重要度*暗記難易度の2軸で評価する。

 

重要度とは、その情報がいかにその人らしさを表す重要なものであるか。

重要度の高い情報を重点的に盛り込むべきことは疑いの余地がない。

 

暗記難易度とは、その情報がいかに言われて覚えにくいか。

覚えにくい情報ほどしっかりと聞く準備ができているときに伝えるべき丁重に扱うべき情報である。

 

この2軸評価に、名前・大学名などを当てはめると、

【所属を重んじない価値観の場合】

重要度…名前>大学名(前提に置いた価値観より)

暗記難易度…名前>大学名(名前は無限通りある一方で大学名は既知の範疇からの暗記であるため)

→結論、名前を先に言うべき。

 

【所属を重んじる価値観の場合】

重要度…名前≦大学名(前提に置いた価値観より)

暗記難易度…名前>大学名(名前は無限通りある一方で大学名は既知の範疇からの暗記であるため)

→結論、極力名前を先に言うべき。

 

所属こそが人を表す的な価値観を持っていたとしても、暗記難易度を踏まえれば名前の優先度が高くあるべきなのだ。 

 

さてここまで順序の話をしたが、文の数の話もしなければならない。

主張としては、「一文で大学名・学部名・学年・氏名を全て盛り込もうとしている時点でナンセンス」である。

理解し覚えてもらいたくば、文を区切って間を取るべき。 相手への配慮が感じられない。

 

(仮に順序の話を抜きにしたとして単純に文を区切るとどうなる?

「○○大学○○学部の○年です。○○○○です。」

いや気持ち悪すぎる。

「○○○○です。○○大学○○学部の○年です。」

これなら自然。

この事実からも、こっちの順序が良いって普通にわかる。 )

 

「○○大学○○学部○年の○○○○です。」っていう自己紹介が大嫌い。

自己紹介は自己紹介の場面によって最適解は変わるものの、「○○大学○○学部○年の○○○○です。」が最適解になる場面はまずない。

それが結論。

 

 

アツくなってごめん。

皆が疑わない言動を否定シリーズでした。

以上です。

 

(終)