しょんだの思考記録

逆張り思考・コミュニケーション など、俺の頭の中を晒します.

「サボってたのに上手くなってた」の正体

「サボってたのに上手くなってた」の正体

 

 

 

問題提起

オセロを2年ぶりにやったら逆にやたら上手くなってた。

ピアノを数ヶ月ぶりに弾いたら逆に上手くなってた。

英語の長文を数ヶ月ぶりに解いたら逆にできるようになってた。

テニスを1年ぶりにやったら逆に上手くなってた。

 

このように、常識的な帰結に反して上達していることが私はよくあります。

みなさんもたまにはあるのではないでしょうか。

 

数ヶ月も数年もサボってたことを久しぶりにやったら逆に上達したというこの逆転現象。

言わば「逆説的上達」。これがなぜ起こるのか。どのような条件で起こるのか。について私が考えたことを少し示します。

 

結論

端的に結論を申し上げます。

理由は二つ。

①当該活動の上達について考える時間を取れるから。

②類似の活動で得た学びを適用できるから。

条件として言い換えると、

・ブランクの間、当該活動の上達について考えたこと

・ブランクの間、当該活動に類似した活動を積み、学びを得たこと

です。

 

 

①当該活動の上達について考える時間を取れるから。

当該活動をしばらくしない間にも、その活動について考えることは全然可能です。

むしろ当該活動に取り組んでいる最中は作業をこなすこと・目の前のことを処理することに精一杯で、深く戦術について考える余裕がないなんてことはよくあります。そのため、その活動をしていないときにゆっくりと考えることには価値があるのです。

 

②類似の活動で得た学びを適用できるから。

当該活動そのものでなくとも、それに類似した活動に取り組むことで学びを見出すことができます。

むしろ違う活動からこそ、当該活動の枠組みに囚われずにコツを見出すことができるかもしれません。とある競技にのみに取り組んでいても、その競技の世界での常識・セオリーは学べても新しい戦術を生み出すのは難しかったりするため、そこに別世界の考え方を持ち込むことで新たな戦術に挑戦できる可能性に価値があります。

 

 

例として、ぼくの実体験を挙げます。

・例:オセロについて(スマブラからの学び)

ぼくの趣味の一つに、スマブラがあります。

自分で任天堂キャラクターを操作し、相手のキャラクターのダメージを与えぶっ飛ばすゲームで、格闘ゲームの一つといえます。

Switchの大乱闘スマッシュブラザーズSPでは600時間以上プレイし、動画などによるインプットや前作を合わせるとそのおよそ5倍は費やしていると思うのですが、

スマブラというゲームは、何千・何万時間かけても研究し尽くせないほどに極めて戦術性が高いです。

理論と実践を重ねてスマブラをする中で、

・「リスクリターン」

・「攻め・守り」

等の考え方が極めて重要だと認識していきました。

「リスクリターン」

つい大きいリターンを求めた攻めをしたくなるが、それに大きなリスクが伴うなら極力それは避けるべき。基本はリスクの小さい行動を心がける。これはスマブラで非常に重要な考え方です。そしてこれはオセロなどの競技でも同様だと思いました。多く相手をひっくり返すことばかり考えるのではなく、展開が悪くなるようなことを避けるようにプレイした方が、勝率は安定します。

ちなみにですが、それを踏まえた私の基本的な戦術は、リスクが低い行動のなかで比較的リターンが高い行動を繰り出すなかで相手を揺さぶり、隙が見えたら一気にリターンの高い行動で攻める です。ジャブで姿勢を崩してストレートをぶちこむ格闘技で例えればイメージしやすいかなと思う戦術ですね。

「攻め・守り」

またその際に、「攻め」をするのは自分だけではなく、相手もだという当たり前のことを意識することが重要です。スマブラでもそうですし、オセロでもそうです。プレイに夢中になっていると、自分が攻め、そして相手の攻めを受け止め、という「攻め」起点の試合展開にのめりこんでしまうことがあります。そうではなく、一歩引いた視点で、「相手はこうやって攻めてくるだろうから、それに対応できるように準備しておこう」と「守り」を考えると、一気に崩される形での敗北の可能性を軽減できると思います。

 

ほかの活動で実践して元の活動に再適用

ここまで、スマブラで得たコツをオセロに適用する、という方向の矢印について話してきましたが、その矢印は当然逆を向くこともあります。つまり、オセロで得たコツをスマブラに適用することも当然可能だということです。それをすることによって、オセロという一つの活動をするだけでは実践的な理解ができていない場合に、スマブラというほかの種類の活動を通して実践的な理解ができ、そして最後に実践的な理解のもとまたオセロという元の活動で再適用する。これも有意義だと思います。

 

結び

以上、「サボってたのに上手くなってた」という状態は、その活動について考察する時間が取れ、そしてほかの活動で得た学びを活かすことによって実現されているのではと述べました。

例としてスマブラとオセロの実体験を詳しく話しましたが、そうして学びを得る対象の活動の数が多くなればなるほど、学びは重層化し、磨かれていきます。学び・コツを参照できる経験が増えていくことは、人間的深みになると私は思います。

サボるというのは時として、「ほかの活動から学びを得る余裕を持つ」という意味も持ちうるのでしょうね。