しょんだの思考記録

逆張り思考・コミュニケーション など、俺の頭の中を晒します.

陽キャと陰キャの違いのガチの、ガチの本質に気づいてしまった①

どうも皆さんおはようございます、しょんだです。

 

やりたいこととやるべきことが多すぎて、「大学は人生の夏休み」という言葉を作ったやつをぶん殴ると見せかけて話しかけて仲良くなってコピーライターとして雇いたい、そんなことを思っている(大嘘)今日この頃、

どうしても皆さんにお伝えしたいことができてしまったので筆を走らせている次第です。

これはどうしても伝えたい、いや、伝えなくてはならない。

 

タイトル通り、「陽キャ陰キャの違いの本質」についてである。

 

( 2019年7月20日に書き始めて秋頃にだいたい書き終えたにもかかわらず、投稿までこんなにも先延ばしにしてしまったことをひじょーに反省している。)

 

コミュ力の高さ」は本質ではない

あなたは自分のことを陽キャだと思っているかもしれないし陰キャだと思っているかもしれない。先に言っておこう、これを読んでいる人は全員陰キャだから安心して欲しい。

それはさておき、自分のことをどちらだと思っているかという以外に、他人のことをどちらかに分類していることが有意識・無意識にしろあると思う。それが有意識の場合でも、表面的な基準で分類していることが大半であろう。例えば、「元気」や「美男美女」など。

そして、「コミュ力の高さ」という風に捉えている人。これは多いように思われる。確かにそれは正しく見えるし、私自身もそう思っている時期はあった。が、それだけでは捉えきれないのである。

 

優劣をつけるのは本質ではない

陽キャ陰キャを定義する際、コミュ力が高いのが陽キャ、低いのが陰キャとすると確かに楽であるが、それで良いのだろうか。陽なキャラ・陰なキャラ。これらを能力値をもって測ってしまうのはスマートではない。むしろ言動の裏にある行動心理による定義づけであるべきで、そこに優劣はあるべきではない。

そもそもコミュ力が定義できていない

そもそも「初対面の人と話す力」「多人数で話を盛り上げる力」「沈黙を作らない能力」「話の上手さ」「理解力」などなどコミュ力の認識も多様であり、前提として定義に用いる言葉に向かない。(この定義しにくい「コミュ力」についても私は一定の見解を得ているのでいつか語れたらと思う。)

コミュ力は後天的、陰陽は先天的

そしてコミュ力の定義に成功したとして、その定義が仮に「初対面の人と話す力」だとしよう(私はこれが正しいとは思っていない)。しかして初対面の人とうまく話せるかどうかはほとんど陽キャor陰キャにはあまり効果を持たない。そう私は考えている。

なぜなら、その能力は訓練によって後天的に変えられてしまうからだ。

コミュ力は、基本的には誰もが努力によって平均以上に持っていけてしまう潜在性を持っている。事実、陰キャであるがコミュ力が高い人が存在するのである。コミュ強陰キャとでも呼ぶとしよう。

だがコミュ力が高くない人も無論いる。それは、高くする潜在能力がないのではなく、高くすることを心の奥で拒んでいるからである。(少しネタバレをすると、この拒むところにこそ本質へのヒントがある。)

コミュ力は後天的な強化が可能なものである一方、陽キャ陰キャは先天的なものだと理解していただきたい。

ゆえに、コミュ力陽キャ陰キャ定義の基準というよりは、定義によって導かれる性質・傾向と考えるのが適切である。

 

と、既存の見解に対する反駁の片鱗を見せたところで、本論に入っていこう。

 

私は、多くの人が気づいていない視点での定義を提供することで陽キャ陰キャ論争に新時代をもたらし、これから語るしょんだ説を世に残しておきたいと思うのである。

 

 

(あっ偉そうなこと言ってごめんなさいもしおかしいところがあったら優しく耳打ちで教えてください(陰キャ特有の防御姿勢))

 


 

しょんだ説1:人の感情を作るのが陽キャ、人の感情を読むのが陰キャ

 

陽キャ陰キャは、人とコミュニケーションをしているときの相手の感情との付き合い方に本質的相違点がある。

 

まず陽キャについて見ていこう。
彼らは相手の感情を作り出している。 

 

例えば、

①嬉しいことを嬉しそうに語ることによって相手にも嬉しい感情を作る

②悲しいことを悲しそうに語ることによって相手にも悲しい感情を作る。

③初対面のA氏に気さくに話しかけることによって楽しい感情を作る。

④初対面のB氏に気さくに話しかけることによって不快な感情を作るw。

 

一旦ここで止めよう。

①②の例において

彼らは相手に自分と同じ感情を作り出している。自分の感情について、感情をあらわにしながら吐露することによって、その感情を共感させているのである。極めて明快な流れであり、楽しく会話ができている良いコミュニケーション形態である。

 

さて、次に③の例

を見ていこう。

③初対面のA氏に気さくに話しかけることによって楽しい感情を作る。

初対面の人に話しかけた行為は、自分が話しかけることによって「自分が楽しくなるだろうという推測…Ⅰ」によるものと考えられる。一方で「自分はさておき相手を楽しませようとしている説…Ⅱ」も考えられる。事実、③の例において相手にも楽しい感情を作り出している。

だが、だからと言ってⅡ説が正しいとするのは待っていただきたい。

 

ここで④の例

を見なければならない。

④初対面のB氏に気さくに話しかけることによって不快な感情を作るw。

彼は自分が話しかけることによって、相手を不快にさせてしまっている例である。もしⅡ説が正しいと仮定のであれば、相手を楽しませるはずである。なのにむしろ不快にさせてしまっている。期待と逆のことが起きているこということになる。本当に相手を楽しませたいのであれば話しかけるという行為はこの場合不正解であった。

このように同一の行為でも、③では相手も楽しいと感じたが、④では相手は不快に感じた。そこに後者への配慮はあまりないため、Ⅱ説が正しいというには不十分だと言わざるを得ない。I説の方が蓋然性が高い。

ただこの失敗をした陽キャ君を強く責めることを私はしない。

なぜなら彼は実際にB氏が楽しく思うという推測を多少なりともしていたからだ。逆にいうとその推測を過信して、B氏が不快に思う可能性を見逃している。過失はあるが、故意はない。

ここで陽キャ君が過失で怠った「相手の感情を読む」ことこそが、陰キャの持つ特徴なのである。

 

 

一方の陰キャは「感情を読む」。

 陰キャは人の感情を読もうとするところに特徴がある。

相手がどう思っているかをとかく気にするのである。

陽キャの章における③④のシチュエーションの主体を陰キャに置き換えた場合を見てみよう。

③初対面のA氏に気さくに話しかけることによって楽しい感情を作る。

④初対面のB氏に気さくに話しかけることによって不快な感情を作るw。

→→
「初対面のA氏に不躾に話しかけないことによって何の感情も作らない。」

「初対面のB氏に不躾に話しかけないことによって何の感情も作らない。」

 

はい。陽キャが+の感情あるいはーの感情を作り出す場面で、どちらの感情も作らないという選択をするのが陰キャである。

客観的要素のみ取り出してしまえば、ノーリスク・ノーリターンとも言えよう。

陰キャは思慮深い

その場にいる相手が陽キャの章におけるA氏のパターンかもしれないし、B氏のパターンかもしれない。そのように相手の考えることの両パターンを考慮したという意味で、陰キャ陽キャよりも思慮深いと言える。人の自由な時間を不躾に邪魔しない優しさを持っている。

陰キャは考え過ぎ

だが裏を返すと考え過ぎということであり、この「考え過ぎ」は大きく行動や態度に影響を与えている。

いや、もっと強調させてくれ。

「考え過ぎ」が陰キャの全てを構成している。

ふう、強調完了♪ 

あながちこのフレーズは言い過ぎではない。 真理である。陰キャの行動の大部分をこの真理を適用することによって説明できる。

 

 

説明例示

陰キャコミュ力が低くなりがち。」

これを説明・導出してみよう。

 

陰キャは考え過ぎる→自分が何を言うかで相手にーの感情が生まれるかもしれない→何を言うか慎重にならなければならない→歯切れの悪いテンポでしか話せない

陰キャは考え過ぎる→ 自分の感情を吐露し過ぎると相手にーの感情が生まれるかもしれない→自己開示をあまりせず打ち解けられない

そして④のように

陰キャは考え過ぎる→初対面の人に自分が話しかけることによって相手にーの感情が生まれるかもしれない→話しかけない方が無難である→友達が増えない

などなど、大きくコミュ力の欠如と捉えられる現象のほぼ全てを導出することができる。

 

導出問題1

ここで読者諸君に、例題を与える。

以下の命題を、「陰キャは考え過ぎる」から導出せよ。

「オタクボイスである」

.

シンキングタイム〜〜〜

.

.

.

.

.

はいタイムアップ〜〜

.

わかっただろうか?

多様な陰キャがいれば多様なオタクボイスもいるように、その過程も多様に考えられるので、別解も許容する。多少の違いは気にしないってことで。

 

陰キャは考え過ぎる→他人の思いを押し付けられると相手は不快に思うかもしれない→自分の考えを強く主張するべきではない→会話における自分のターンは控えめに行われるべきである→口を大きく開けハキハキと大きな声を出すのは控えるべきである→オタクボイスである

 

このような導出ができる。(なお、このオタクボイスというのは陰キャ全てが当てはまるものでは当然なく、定義から派生する一傾向である。)

 

応用問題2

この導出方法を応用すると、

「服装がダサい」

のような傾向も導出することができる。

やってみて欲しい

.

シンキングタイム〜〜〜

.

.

.

.

.

はい、タイムアップ〜〜

.

答案例は以下である。

 

陰キャは考えすぎる→他人は自分の服装を滑稽に思うかもしれない→自分のキャラと自分の服装が不一致だと特に相手が自分を滑稽に思うかもしれない(※キャラの定義はここでは置いておく)→自分のキャラを低く見積もっておくべきだ→地味な自分に派手な服装は合わないかもしれない→派手と捉えられかねないおしゃれな服装は避けておくべきだ。

 

 

といった具合であろうか。

 

 

考える陰キャ

さて、ここまで議論してきたように、陰キャは良く言えば思慮深く、悪く言えば考え過ぎる。これはどちらの解釈も正しい。

だからこそ陽キャ陰キャの優劣をつけることはおこがましいことなのだ。

 この、陽キャ陰キャの平等性。どちらにも不快な思いをさせることのないということこそが、私の定義の優れた点の一つである。

 陽キャなお前も、陰キャなお前も、私は愛す。

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

しょんだ説1はこれで終わり。
しょんだ説2は執筆中だから待っていて欲しい。

 

 

 

 

 

…え?お前はどっちなんだって?

こんなに感情を考察している時点で。。わかるな?