『はな恋』を観るか迷ってさ?
(4月に書いた文章です。人に見せるものでもないかとも思ってたけど、就活終わったし放出します。)
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『花束みたいな恋をした』
観ないつもりだったけど、結局観てきた。
「別れたくなるからカップルは観ない方が良いよ。」
「気まずくなるから気になる子と観に行かない方が良いよ。」
あーじゃあいっか、観なくて。って思うじゃん。
でも結局観てきた。男友達と。
その感想を言わせて。
みんなすでに観てる前提で話すけど、よろしくね。
感想
「二人のすれ違いの過程をリアルに描いてくれた教科書」だな。
すれ違いに立ち向かうための材料。事例研究の材料として見たらいいんじゃないかな。
奇跡的なまでに共通点が多く、こだわりや価値観が合う。こんなに相性が良さそうな二人ですらすれ違い、別れてしまった。そんな事例。
もともと全然共通点もないし見た目もタイプじゃないし、、みたいな二人だったら、そりゃ合わないわで済む話。
そうじゃなくて一見めちゃくちゃ上手くいきそうなのに上手くいかなかった、もったいない事例にこそ学びがある。コミュニケーションの取り方次第で上手くいくシナリオが全然あった二人だから。そうじゃない?
俺の一番の学びは、
「違いを楽しむ」
ことかなあ。
共通点の話で意気投合したことから始まったカップル。
共通点に拘ってはいたけど、相違点を曝け出し認め合い楽しむことができていなかったのが、別れに至った最大の原因だと思う。
すれ違い
どんなすれ違いがあったっけ。
趣味
元はと言えば、出会いは趣味の共通点。映画・小説・音楽・お笑い。話が盛り上げる共通の話題。二人の距離を急速に縮めるには十分すぎた。奇跡的な合致率に思われた。
しかしもちろん、全ての趣味が一致するわけはない。麦は本当はミイラは興味がないし、絹は本当はガスタンクなんて微塵も興味がない。でもこのとき、その相違点は伝えていなかったよね。相違点を曝け出せていなかったと思う。
時は流れ、同棲して特に麦の仕事が忙しくなってきた頃。映画などの共通点を一緒に楽しめなくなり、一緒にやろうと行っていたゼルダもできず、すれ違い。共通点に依存していた二人は、その共通点が楽しめないことで不満が募っていく。
相違点を理解する余裕を持てたらよかったなあ。。
仕事
イラストレーターで食えなくなった麦は既卒就活をしやっとのことで内定を得た会社で身を粉にして働く。麦の親は職人で、それを継ぐように言われていたが。
絹は新卒就活に嫌気が差すもフリーターののち堅実に事務職につき、その後は好きなイベント会社に転職。絹の親は広告代理店で、社会人になることを「風呂に入るようなこと」と例え必要性・有用性を説いていた。
二人の仕事観はと言うと、
・絹は楽しいことを仕事にするため、事務職の退職も厭わない。
・一方の麦は仕事は責任、遊びじゃないと批判。。
このすれ違いが象徴的だったと思う。
麦の良い暮らしをするためには割り切って仕事を頑張ることも大事という考え方はイラストレーター時代の厳しい経験があってこその考えで一概に批判できないし、絹の考え方も一概に批判できない。
どちらが間違いってことはないからこそ、コミュニケーション不足・お互いの納得感不足だなあと思うよね。
就活真っ只中の俺の心も揺さぶられた。俺はどの仕事を選んで、仕事をどう捉えて、どんな結婚をするんだろう。そもそもするとは限らないけど。二人の仕事観のすれ違いを、人ごととは到底思えなかった。
恋愛観
絹の恋愛観
序盤。絹が、昔デートに行ったことのある男性とたまたま再開し焼き肉に行くシーン。男性に彼女がいると発覚し、呆れてしまう。
ここ、地味に絹の恋愛観を表していると思うの。
あとのシーンで、「恋愛生存率」というブログを愛読している描写がある。恋愛はそのほとんどが別れて終わっていくという話。
ここら辺を合わせて考えると、多分絹は恋愛・男性にそこまで期待していないと俺は思った。
「魅力的な男性は他の女性ともうまく行ってしまう。私が付き合ってもいつかは終わりが来るんじゃないかな。続いてくれたら嬉しいけど、難しいよね。」
多分こんなふうに考えてると思う。
それを裏付けると思ったシーンがもう一つ。
「女の子に花の名前を教わると、男の子はその花を見るたびに一生その子のこと思だしちゃうんだって」と言う絹。麦は「じゃあ教えてよ。」尋ねるも、絹は教えないというシーン。
ここでの絹の気持ちは、「ここで花の名前を教えてしまうと、麦は一生私のことを思い出すことになる。そこまでの責任は負えないな。だって、私たちもいつかは終わりが来る、多分そうでしょ?」といった具合なんじゃないかな。
他の観点の絹の恋愛観を表すシーンを話させて。
時系列が前後するけど、付き合う日。付き合い始めファミレスからの帰り道の信号を待ちながらキスしたあとのシーン。
「こういうコミュニケーションは頻繁にしたいほうです。」
スキンシップをたくさんしたいという恋愛観がわかる。
その恋愛観は後々にも響いていく。付き合って結構した頃のシーンに時間を飛ばすと、二人がセックスレスになったとのナレーション。これは絹の語り。「3ヶ月もセックスレスの恋人に〜〜」というセリフが絹の不満を表している。
だからこそ、多分絹は浮気をしたんだと思う。明確な描写はないけど、多分イベント会社の社長(オダギリジョー)と浮気をしたはず。絹はその社長みたいなチャラい人を本命で好きになることはない子だと思う。けど麦との不満から、一夜限りなら良いかと思ったんじゃないかな。
根拠は、ラーメンに行ったあとのメッセージの雰囲気は気持ちの揺らぎを感じたのと、別れが決まったあとの「正直、1回くらい浮気したことあったでしょ?」という絹から麦への問いかけ。
「浮気?え、あるの?」「なかった?」「え、普通にないけど」「ふーん」「えっ?」
このやりとりから俺が感じたのは、①多分絹は浮気をしていたこと、②絹は男の一途さに期待していないこと。ここもさっき太字で書いた、「魅力的な男性は他の女性ともうまく行ってしまう。私が付き合ってもいつかは終わりが来るんじゃないかな。続いてくれたら嬉しいけど、難しいよね。」と同じようなこと。
麦の恋愛観
正直、俺は男の麦視点で自分に重ねて映画を観ていたからこそ、絹はどういう気持ちなんだろうと思って観ていた一方で、麦の考察はあまり冷静にできないかもしれない。
居酒屋で美人の先輩に思わせぶりなことを言われても振り切って、居酒屋から出ていく絹を追いかけたこと。一貫して他の女性の影が見えないこと。すれ違いがあっても結婚したいと考えていること。
ここから感じるのは、「結婚に向いているタイプ」の恋愛観だ。
麦は「結婚には力がある」と思っていると俺は感じる。
結婚すると二人の関係が次のステージに進んで、子供ができると二人の気持ちが新しい方向性に進んで、、という力が。
そこについては本当にわかる。俺もそうだと思うし憧れる。
しかし行き過ぎたなと思うのが、二人が喧嘩するシーン。舞台を観にいく約束がだめになって始まった喧嘩の末、つい麦が関係性を打破するために言ってしまった言葉が、
「じゃあ結婚しようよ。」
あちゃー。考え得る最悪のプロポーズ。関係性を打破するために結婚の持つ力を利用しようとするということを、喧嘩中に言ってしまうのはあかん。あくまで同じ気持ちで同じ方向を向いてするものだから。結婚って。
でも結婚に力があることには俺もすごく賛成するし、きっと二人が結婚していたら幸せになる道も全然あったと思う。
そして
趣味・仕事・恋愛などの価値観が少しずつすれ違って、気づけば戻れないところまで来ていた。
知人の結婚式の日。お互いはもう別れどきであることを悟っていて、別れ話を切りだすと決めていた。別れることを互いに決めながら帰るまでに楽しく遊ぶ二人。例のファミレスに入り、別れ話を切り出す。
そこに高校生カップルが入ってくる。
初々しく敬語を話している。
靴が同じ。
趣味で意気投合。
……やめて、、、、
まるで出会った頃の麦と絹。かつての二人と、すれ違ってしまった現状の二人を比べ、悲しくて切なくて。泣きだす二人と一緒に、俺も泣いた。
まとめ
序盤は甘い恋愛ドラマで、中盤は仕事と葛藤する現実で、終盤は人間の難しさによる切なさ。
俺は二人に別れて欲しくなかったし、別れない道もあったと思う。
そっちの道を進んでいく。そのためには相違点を認め合える関係でありたいね。違いをむしろ楽しめるくらいの関係でありたいね。
ってのが今回のまとめかな。
読んでくれてありがと。じゃ、またね。
(終)